今日という日はもうずいぶん前に始まっている
ノートパソコンが壊れた。
といっても、社会に出たら必要だろうと買ったはいいけど写真のデータ管理くらいにしか使わないので、普段はその存在さえ忘れていたのだ。もはやいつから壊れていたのかさえ分からない。
別に急ぎの用ではなかったけど、買えば数万円はするし(賢い人間は同じ失敗を繰り返さないので)大人しく近所のネットカフェへと足を運んだ。
受付のビニールシートの向こうに見覚えのある顔があった。先に自分が気付いたんだけど、ぼーっとしていて言葉に詰まるうちに話しかけてくる。
「あれ?みささぎ?」
おー、と僕は一応店員の名札を確認しながら返事をする。
大学時代の友人だった。
卒業してからは散り散りになり、近況を知っている人は片手で数えるほどしかいない(5本の指で30以上の数を数えられるらしいが僕の場合はもちろん、5だ)。僕たちは卒業以来三年ぶりの再会で、マスク越しで会うのは初めてということになる。
他の客の邪魔になるし、手際よく受付を済ませてもらいひとまずブースへ荷物を置き、フリードリンクのココアを注ぎに出てゆく。
ぱたぱたと静かな店内に足音を響かせ、先ほどの友人がやってきてくれた。
今何してるん? どこ住んでるん? 他のやつらは? 彼女できた? と他愛もない会話が思いの外弾む。どうも卒業後の僕たちは似たような境遇らしかった。
思えば三年という月日を感じなかったのは、薄くて内容のない日々を過ごしてきたからかもしれない。向こうも変わらない生活の中に、僕との再会という僅かな光を見出したように見えた。
「料金が増えるから、そろそろ」
「また飯でもいこう」
お決まりのセリフに、きっと本当に行くことになるのだろうと思いながら頷く。彼と会う理由は出来たけど、会わない理由は特になかった。
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ある時期から、なるべく人に誘われたら行くようにしているし、勧められたことは体験してみることにしている。「豊かな人生」というものがあるのなら、それは未知を楽しみ、行動した人生に他ならない。
手の届く範囲の世界は大切だが、本当に守るべきものはこの世の中そう多くはない。冒険しろ、と言ってやれる大人になりたいと思う。
今日という日はもうずいぶん前に始まっている。それは無数に枝分かれする日々を、選択し続けた「今日」なのだ。
皆さん、よい一日を。いつかのより良い今日を目指して。