雑記と短歌20230921
さて、毎回「今回が最後かも」なんて思いながらブログを書いています。お久しぶり。
今度出版されるエッセイ集に2pくらいの文章を寄稿することになった。こんな風にブログを書いていた経験が役に立つとは思わなくて、人生、割と不思議なことばかりだ。割とね。
書くことが職業になる、なんてことはたぶんこれからもないのだけど、好きなこと書いてちょっとだけお金もらって、こういう居心地の良さがずっと続けばいいと思う。
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東京について。
最近なんだかやたらと縁があり、遠く思いを馳せる機会が多い。ついこの間まで、羨望と諦めの中にだけ存在していた架空の街、トウキョウ。
やりたい事もないし、そりゃあ現実的には移り住むのも可能なのだけど、なんだかんだこの街にあるものが「今の自分の全て」ではある。今さら地元へ帰る気もしないし、東京への栄転と天秤にかけて断ったことだってある。仲の良い人たちや家具、好きなお店、場所。そういうものを全部、トウキョウに持っていけたらいいのにな。
おっけーな人は連絡ください。
やりたい事を見つけるために、人はまず人生を費やす。だからやりたい事を見つけるまでの期間は短ければ短いほどいい。あの街では、その機会が比較にならないほど多く転がっている。もちろんチャンスを掴めるかは別問題だとしても、夢があって、努力して、みたいな一見普通そうで実は得難い人生が、何よりいまは羨ましい。
夢がある人、がんばって。手放しで応援することに関して、自分の右に出る人はあまりいません。
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これからのことを考えるのは勇気がいる。
過去はどこまで行っても過去だから、どのような遺恨もなるべく水に流して生きるべきだ。過去の思いも言葉もどんどん嘘にして、何食わぬ顔で生きていくべきだよ。
口約束だってやぶればいいし、不都合な思い出は誤魔化していい。そうでもしなければいつまでも、悲しいことばかり思い出してしまうからね。
優先すべきは今の感情だけだ。今、いま。今しかない。今の感情だけが、あなたを幸せにするんだから。
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自分のための言葉ばかりになった。おつかれ。辛くない?今日もがんばったね。なにも毎日にこにこしている必要はない。
海へ行こう、猫を撫でよう、肉を食べよう、写真を撮ろう。疲れたなら砂浜で眠ろう。
そうしよう。
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おまけ
夏に書いた短歌を連作にしたので、見てね
論点をずらせばそこは夏でした燃やされるように光りゆく
電車には斜めに光が差し込んで僕はゆっくり沈む難破船
干上がった海の跡地で盛り上がる鉛を飲み込むキリンの真似が
振り向くとそこは荒野で振り向いた荒野の中のきみと目が合う
きらきらと光を抱いてゆきなさいいずれは星になると聞かされて
おわり
読んでくれてありがとう
ショート・ショート・ショート・エッセイ
忘れてしまったものたち
初恋の人の名前、親の年齢、小さい頃好きだったもの、りんごの剥き方、同級生の顔、あとでtweetしようと思ってたこと、努力の仕方、好きだった人の匂い、心に留めたはずの本の一節、ズボンのサイズ、口約束、毎年冬になると買っていた何か。
この世のどこかには、忘れられたものだけがひっそり集められている場所があるらしい。
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最近、ギャルが好きで困る。
昔は色白で弱くて薄幸そうな、いかにも文学少女的なキャラクターが好きだった。
今ならオタク×ギャルの組み合わせが流行った理由がわかる。異質な、非現実の象徴だったんだよね。どこかへ連れてってくれるような、理解の及ばない存在をずっと待ってるんだよね。
「今のままでいい」なんて思ってるオタクなんて本当はずっと少ないんだから。自分を連れ去って、無理やり変えてくれる存在を、ずっと待ってるんだよな。たとえばそれが異世界だったり、ギャルだったりするだけで。
オタクにやさしいギャルの作品で、ギャル側の葛藤や人生が描かれることはあまりない。その「解像度の低さ」こそが、理不尽な救いに必要な要素だから。
それってなんだか少女漫画における男性の描き方に似てませんか?
今思えば昔からドラゴンボールの人造人間18号が好きだったな。元祖「理解のあるギャル」じゃないだろうか。
頭が良く、おたく趣味に理解があり、分け隔てなく接してくれる、自己主張の激しくないギャル。
ありがとう。
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ここ一ヶ月くらい、創作について語り、音楽について語り、生活について語り、自分のことについて語ったりした。
リアルな友好関係において「共感する」ことが重要視される中で、発信する場面はずっと少ない。
CDショップに並んでる適当なバンドについてうんちくを喋ったり、博物館に行って適当な素人考察をしてみたり、いわゆる「自分語り」をする事ってあまりない。してみて初めて話を聞いてもらうのって嬉しいと思う。僕は苦手なりに、お喋りが好きなんだろうな。
もちろんたくさん、みんなの話も聞きたい。語り合いたい。
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忘れたくない! 色んなことを。(倒置法)
最後に忘れるのは匂いだとか、言葉は残り続けるだとか、教えた花の名前が呪いになるだとか、現実はそんなにエモーショナルじゃない。
私の場合は食べ物だ。
小さい頃デパートのレストランに連れて行ってもらって、入り口に立ててあるメニュー表の前で「安いほうがいいよね?」と言った時の、両親の怒るとも悲しむともつかない顔を見た後に食べるランチプレートの、あの味。
コメダ珈琲のたっぷりコーヒーで思い出す人も、明太子を見て思い出す人も、コンビニスイーツを見て思い出す人もいる。
くしゃくしゃのパンのごみ。果汁1%。溶けたチョコレート。
ああ、あの時、どうしてお前は……
みんな元気にやってるかな。やってなくても全然、大丈夫だけど。
おわり
hey, my sister
私の姉は頭が悪いのだけど(最悪の導入)、人一倍素直だ。
怒られたら悲しむし、褒めれば喜ぶ。絶対に人の裏をかかない(嘘はよく吐くがすぐバレる)。良いものを良いと言うことができるし、感謝することが出来る。
欲望に忠実なので他人のプリンは勝手に食べるし、甘いもの大好きだし、白米大盛りでおかわりするし、酒をよく飲むのだけど、その丸い顔に人懐っこい笑顔がよく似合う人だと思う。
最近まで快く思っていなかった。実際、奔放なタチのせいで周りに迷惑をかけていたし、僕のようなまじめな青少年には彼女の良さがちっとも分からなかった。
姉は悪人ではないが、また善人でもなかったように思う。
それでも今はようやく、血の繋がる姉としてだけでなく、人間的に少し受け入れられるようになってきた。自由なのは良いことだ。見習うべき点は少ないが、それでも私に無いものを確かに持っている。
嫌な顔せず、LINEの返信くらいはちゃんとしようと思いました。
結婚しようよ
タイトルは曽我部恵一の曲から。
今さらだけど、友人の結婚式に参列した。そのことについて、いつか思い出せるように残しておきたい。
私は小説家でもなければエッセイストでもないので、この時ばかりは華やかな式の様子や二人の喜びに満ちた姿を詳らかに書き記せないことが悔やまれるわけだが、そんなものは一枚の写真があれば事足りる。
何を感じてどう思ったのか、そんな事を書いておきたい。
その友人とは思えば長い付き合いで、18の頃から数えて8年が経とうとしている。なんというか、昔から適当なやつで、いつも振り回されていた気がする。裏を返せば要領がよくて、いつも私たちを引っ張ってくれていた。
学生時代を楽しく過ごせたのは、間違いなくこの友人の存在による所が大きい。感謝してます。
自分が躊躇いもなく高いご祝儀を出せる、数少ない友人の一人でもある。
結婚の報せを聞いた時、純粋に幸せを願う気持ちが湧いてきて、他人を心から祝えることが、そういう関係の中に居られることが何とも言えず嬉しかった。
そいつは笑ってて、奥さんも笑ってて、僕も笑って、幸せな空間ってこういう、たった二人の喜びから生まれて波及していくんだなあ、と、身を持って知ることにもなった。
長くなりそうなので、式のことを少しだけ。
まず新郎の入場。華やかな衣装を纏い、緊張した面持ちで壇上へと上がっていく。いや、緊張すんのかい! 強がりな友人の憎めない一面でもある。
続いて、新婦が純白のドレスを身に纏い入場する。白って200種類あんねんけど、純白、という言葉はこの時のためにある言葉なのだな。
ベールを被り、父親と伴にバージンロードを歩く。バックではハープによる荘厳な演奏が流れている。天国?
嗚呼、あれは、ヘブンズドアだ。一面ガラス張りのホールに注がれるやわらかな光が、ついに辺りを包み込んだ。
参列席の私たちは息を呑む。
二人の横顔のなんと美しいことか。
うおー!俺たちが付いてるぞ! そう叫び出したかった。それくらい二人は尊く、みんなの未来を照らす希望に見えた。僕にはね。
個人的に最大の泣きポイントは、壇上で二人が何やらサインをした場面だ。たぶん誓約書みたいなものに名前を書いたんじゃないかと思う。
神の御前で、永遠の愛を誓い合う二人。私たちはその証人だった。
僕はすごくダサくて、人前で格好付けてばかりなんだけど、本当に愛する人の前ではきっと格好つける余裕なんて、その必要なんてなかったりするのだろうな。
そうだといい。愛とは過信するものだからね。
僕も一人のロマンチストとして、永遠を誓えることを少し羨ましく思いました。
これは余談なんだけど、名前はローマ字でサインしたのかな。神父さんが外国の方だったから、自分ならちょっと迷いそうだ。
「ジャパニーズ、オーケー?」
最近、ある友人とちょうどこんな話をした。
「誰もが産まれてから心に降り積もるさみしさを、少しずつ溶かしながら生きている」のだと。
人はひとりでは幸せになることも出来ない。一緒になるべき人間は、互いにもつ孤独が釣り合うひとなのではないかと思う。
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ここからは個人的に友人に贈る言葉なので、読まなくても大丈夫です。
本当にめでたい。僕は一生あの日のことを思い出しては、その度に二人の幸せを願い、支えていこうと思うことだろう。式を挙げてくれてありがとう。
恋愛のことで初めて相談された時のことを思い出す。喧嘩したとかで、もうだめかも、なんて、あんな弱々しい姿を見たのはあの一度きりだ。
僕は嬉しかった。
人は本当に大切なものの前では、弱く、優しくなるものだからね。
あなたは認めないかもしれないが、あの時見せたその弱さを、あの時感じた無力感を、この先何度でも思い出してほしい。
ニーチェの言葉に「結婚とは長い会話である」というものがあります。いや、会話にしては長すぎやろ。
僕は、沈黙こそ大事にしてほしいと思う。二人の間に流れる無言の信頼を尊んでほしい。
言葉が万能じゃないことくらいもう知ってるはずなのに、私たちは忘れがちだ。伝えたことも感じたこともやったことも全部忘れて、勝手に不安になることもあるだろう。
語り合うことをやめたっていいんだ。好き好き言い合うよりもっと大事な役割が、愛にはきっとあるからね。
まあ僕が言うことでもないですね。
最後に。
これから先、ご両親が、友人が、上司が、僕が、あなたたち二人に多くの助言やアドバイスをすることと思う。
でも、そんなものはどうだっていいね。二人が幸せでいることを何より優先してください。
どんな偉大な名言よりも、目の前にいる人のひとことひとことに耳を傾けてほしい。
そして礼儀を尽くしてほしい。お互いが元は一人の人間であったことを、(僕を見て)いつでも思い出してほしい。
そしていつまでも、尊敬できる友人でいてください。
それでは、ここまで。
26歳の日の出
26歳になりました。少し前に。
相変わらず這いつくばるように生きています。
誕生日は特にイベントもなく、21時には気絶するように就寝。夜中の3時起床。もう逆に健康的ですね。最高の門出です。どうもありがとう。
親からサーモンの塩辛とかいう"つまみ"が届いて、ほんのりいたたまれない気持ちになる。あんまり息子につまみをプレゼントしない気がする。
今度実家に帰省した時は、お酒は少し控えようと思う。
今年はどんな年にしようかな。
いま改めて考えてみると、欲しいものややりたい事、食べたいものって意外とある。無欲は楽しくないと最近気付きました。「やりたいこと・食べたいものリスト」というのをメモしていて(そのまんまですね)、3スクロール分くらい溜まっているのでそれを徐々に埋めていきたい。
どんな一年になるだろう。計画性が無いのでなるようにしかならないのだけど、それでも楽しい年になればいいよね。
秋はもちろん冬だって外にたくさん出掛けたいし、正月は書き初めとか凧揚げをしてみようかな。去年より暖房の温度を2度くらい上げて生活したい。春服もぼちぼち着なくなった服は処分して、好きな服を着よう。好きなもので自分を構成する。それには好きなものを増やさなきゃならない。哲学だ。
思うに、私に足りていないのは「良い年にしよう」「生活しよう」「楽しんで生きよう」という気概な気がする。計画なんて立てられなくても、その一瞬一瞬を上昇気流に乗せていくような秘めやかな努力を惜しむな。目の前のことに集中しろ。手に汗を握って生きろよ、おれ。
最近は全てが止まって見える。時の流れが速すぎて。
いつだって目標は、本当にやりたいことを見つけることだ。自分の中で何がなんでもやるべきだ、という強い確信がほしい。
「最も愛した」だとか「記憶に残る」、「あれは忘れもしない」「何度も思い出す」、そういう走馬灯みたいな記憶になればいい。毎年ね。
まずは立ち上がるところからだ。この二本の足で、立って生きていこう。そうしよう。
誰かを嫌いになるリハビリ
いきます
靴の中の小石、カステラに付いている紙、にきび、濡れたままの靴、鉄棒の錆、薄い音楽、自己啓発本、数IIB、悪意、善意の押し付け、才能、朝、労働、会社の飲み会、信号が分かりにくい交差点、躾のなってない子供、責任、向上心、派手なブランドロゴ、似合わない半袖、値上げ、疑われる事、疑う事、作ったものを壊される事、知らない事、知らないのに非難する人、盲信、ひっつき虫、騒音、満員電車、配慮のない人、理解する努力をしない人、自分は正しいと思っている人、論争、競争、勝つこと、負けること、羞恥心、忘れた頃にやってくるトラウマ、裏切られること、裏切ること、極端な話、高い枕、ビニール袋の穴、清潔すぎる店内、結果の悪い性格診断、ぬめっとした汚れ、洗い物、頭の悪い人、無駄な慣習、メンソール、自分より上手な人、噂話、ピッタリした服、集団バイアス、トマト。
0914 蛙化現象と所感
なにが元か知らないんだけど、Twitterのトレンドに「蛙化現象」が上がっていたので何か書きたい。
蛙化現象とは「好きな人に振り向いてもらえた途端気持ち悪いと感じたりする現象」のことらしい。
眺めてたらその多くは女性が男性に対して感じやすいものだと説明されていたのだけど、男の自分でもまあ分からんでもない節はある。
例えば、言い方は悪いが、誰かから好意を寄せられたとき引いてしまうことがある。恋愛的な感情を向けられたとき、その場から逃げ出したくて堪らなくなる。うれしさ以上に戸惑いがあって、一方的に良い思い出なんかにしようとする。期待させてしまう前に、ぼくのほうから消えてしまいたい……
良く言えば誠実で、悪く言えば臆病な自己中心的な対応だ。でも人の好意を蔑ろにすることほど精神を削ることってない。
よくメンヘラ(敬称)が言う「私なんかを好きにならない人がタイプ」に近いものがあるかもしれない。そこまで言わないけど。好きになってください。
一見すると相手が傷付かないよう拒絶することと自分が傷付かないよう拒絶することでは真逆のようにも見えるが、どちらにせよ自己防衛的で、「自分に自信がないこと」がこれらの原因の一端になっていると言えるだろう。
詳しくはネットで調べたらよい。適当に言っているので。
その点においてTwitterは楽だ。
長く匿名で活動していると、男性や女性、年齢問わず好意の言葉をいただくことがある。みんな言葉を尽くして、感情を伝えようとしてくれる。
それはもう、純粋な愛だ。ただ文章とそこから垣間見える人格だけを頼りに、人って愛せるものなんだ。こういうとき私は本当の意味で愛されている喜びを感じる。全霊で応えようと思う。相手が男だとか女だとか、自分が誰を好きだとか、そんなことはその瞬間には何の意味も持たない。ただひたすらに言葉を尽くして、顔を合わせると言えないような台詞を、生きているだけでは出てこないような文章を、相手のためを思って書く。
出会うことのないその人の人生に、確かに私が居たこと。そのことに何か意味を見出せるように。
でもさすがにおじさん構文で無礼な舐めた口説き方をしてくる"本物"に付き纏われた時は、困ってしまったが。