二十五歳の原点
二十五歳もいつか終わる。でも、十代の終わり──成人式で写真も撮らずにラーメン屋へと抜け出したあの足取りの重さからは、幾分か解放されたような気がする。
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「やりたい事とかないの?」
またそれか、と思う。親、教師、果ては友人までもが、興味もない他人の人生について言及するようになった。無いね、とだけ返す。話題を変えるよう促すため、短く鋭い返事を意識する。
「じゃあ、お前はなんで生きてるん?」
え? それ言っちゃうんだ。そんなこと言われちゃうんだ、おれ!
僕にとって人生は逃避行だった。幼い頃はかすかな(皆はオレンジジュースなのに自分だけリンゴジュースを飲んでいるという程度の)違和感だったのが、歳を重ねるにつれよりはっきりと大きくなっていく。
言葉に出来ない、目に見えないほど小さなすれ違いを何度も重ねるうちに、理解できないものが増え、共感できないものが増え、なんとなく肩身が狭いと気付いた時には乗った覚えもないレールの上を逃げるように走っていた。それは本来の目的(生きる意味とか)を忘れるには十分過ぎるほど長く、地味な孤独だった。悲劇も喜劇もなく、挫折も成長もない。そんな物語に主人公なんているはずもなかった。
どこにいても、何をしても間違っている気がする。自分だけ大事なことを知らされていないような気がする。そういう、有り体に言うところの生きづらさが、何の抵抗もなくこの身体中に浸透していった。
自分だけがおかしいとは思わない。それはきっと二割だか三割だかの人たちが同じように感じていた窮屈さや憂鬱だろうし、注意深く周りに目を凝らせば世の中に馴染めず脱落していく人たちなんてごまんといた。Sくんはイジメられはせずともクラスの輪に入れていなかったし、Kくんは親の都合で学校を辞めたし、O先生は離婚した。巧妙に隠されていた世の中の理不尽さに、声も出さずに呑み込まれていった。
自分が特別だとも思わない。むしろ普通すぎることがコンプレックスだった。もっとも今思えばそれは自分の生まれや外見、特性に関するコンプレックスであって、実際はそこそこ何でも出来たし人にも好かれていた。それを認める精神的余裕が、その頃の自分には無かったのだと思う。
ともすれば猜疑心が強いからこそ無防備に他人を信じようとしたり、自分を大切にしたいからこそ不用意に他人を好きになったり、半ば自傷的にそんなことを繰り返していた。嫌なことから目を背け、大事な事は他人に任せ、次の息継ぎのタイミングばかり考えていたのだ。
僕にはそうやって心から安らげる場所を探すこと以外に、人生の目標はなかったと言っていい。
生きてる意味なんて知らなくていい、期待するのは怖いから。将来の夢なんてなくていい、その時々のやりたい事を見つけるほうがずっと重要な問題だったから。ブログなんて書いているのに、エピソードが全然ないのがその証拠だ。ぼーっと生きてんじゃあないぞ。
「自分の人生は自分のもの❗️」「人生を楽しもう❗️」みたいな当たり前の事に気付くまで、本当に時間がかかった。かけ離れた偉人の名言みたいに、どこか自分とは無関係のような気がしていた。もっとも、気付いてもそんなのは理想論でしかなくて、世の中が生きづらいことに変わりはない。今まで輝いて見えた人たちが、今度は光を失い彷徨ったりもするだろう。悪意に溢れ、欺瞞に満ち、ただ優しいだけの無気力な人間にはいつだって向かい風が吹く。
だが僕の人生、なんかまだ、ここからだな。
たしかに今までの人生は逃避行だった。ずっとマイナスをゼロにするような生活。漠然とした不安ややるせなさに怯えて過ごしていた。
それがついに今、原点に立ったのだろう。二十五歳の原点。ここから始まるのだ、きっと色んな事が。目を開けろ、光を探せ。これ以上見逃してはいけない。
人生ってなんですか? 僕は、僕たちは、これからまだ知ることになるよ。