死ぬなんて言うな/ホーム・アローン

 

死にたいからって死ぬのはめちゃくちゃださい。それ、殺されてるだけだよ、あんなに嫌がってた社会に。最期の瞬間くらい自分の意思で決められたほうがいいに決まっている。

そもそも死にたいなんて言うな、その原因になった全てが無くなれば言わないでいてくれますか? けれども死ぬより殺すほうがずっと難しいのは、なんとも理不尽な話だよな。

 

あぁ、寒くなってくるとお気持ちが落ち込んでくるなぁ。ここ数年は特に顕著な気がする。でもそれでいいんだ。それが冬の良いところなんだよ。

誰だって薄暗くて淋しい道を、独りで歩く時間が必要なんだ。

自分がいつか死ぬ時は、好きな曲が流れていたらいいなと思う。冬の寒さが深まる頃、日が暮れるまでやりたい事をやって、金が尽きたら東京の汚い雪に埋もれて死ぬんだ。そのとき頭の中では好きな曲が流れていて、朝、穏やかな顔で倒れているのが見つかるだろう。

自分で選べるのなら、そういう最期がいい。

 

 

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私にとって最大の不幸は、孤独であることだ。理解者のいない生活ほど無意味なものはない。こんなブログを書いてしまうのも許してほしいというものである。

この前、恋人と同棲している友人宅へ遊びに行った。こたつがあってテレビが点いていて、温かい珈琲を淹れてくれて、たぶんクリスマスにはケーキを切り分けて、年末には紅白を見るんだろうなぁっていう「家庭」があった、そこには。

一人でアパートに住むのは別に寂しくはない。こういうとき狭い部屋でよかったと思う。それでも一人暮らしを何年もしていると、人恋しく感じるときもある。体調が悪いときや外食したいとき、しょうもない思い付きや他愛もない出来事について話したいとき、好きな曲を聴いたとき、一人で映画を観ているとき。

卵焼きは辛いほうがいいならそれで作るよ。こんなブログどう?って聞くからいいじゃんって答えてくれ。ひとりで出来ることを、わざわざ誰かと共有して過ごしたい。

別にそれは男でも、なんならおじさんでもいい。理解のある彼くんである。たまにお互いに好きな料理を作ってみたり、リビングで流す音楽に「それなんて曲?」なんて言葉を交わして、服装を褒め合い、馬鹿話や恋愛観について語り、たまに難しい話をしては疲れて眠るのだ。それを恋人と呼ぶなら、私はおじさんが恋人でも構わない。

 

大きな家に住む必要なんてないのだ。並んで立てるキッチンがあって、トイレとお風呂があって、あとは屋根と壁があればそれでいい。理解者さえいれば暮らしや悩みなんてどうとでもなる。目の前の隣人だけを大切にすればよい。

一人の部屋は別に寂しくはない。どこへ居ても孤独は同じように降り積もるのだ。

今年こそ、降る雪が全部メルティーキッスだといいですね。良い冬にしましょう。