ディア・マイ・ベイビー

 

甥っ子が一歳半になり、リアルでマジにかわいい。まぁ逐一息子の写真を送ってくる兄貴がすでにかわいいのだが。

車が大好きで、今度クレーン車のおもちゃをプレゼントするつもりだ。

 

 

よく、自分に子供ができたらどんな名前を付けようか想像する。子供がほしいかといわれると別にそんな事はなくて、ただ「冬に産まれたら雪、春に産まれたら花にしよう。一文字の名前ってなんだか可愛らしいし」とか、愚にもつかないような事を延々と考えるのだ。

その子供は永遠に成長しない。大きくなった我が子を、私は想像した事がない。

 

なんというか、あまり言いたくはないのだけど、微かに私の中にある子供がほしい気持ちの動機って「自分の遺伝子がどんな風に育つか」っていう、まるで育成ゲームみたいな傲慢な思想からきている。受け継いだ才能と適切な育児でどんな人生を歩むのか、人ごとみたいに楽しむ気でいる。

親の資格というものが存在するなら、きっと私にはそれがない。責任感とか世間体で育てるものではないのだ。いつか立派に育った自分の子を、胸を張って愛したい。その自信さえあればよかったのに。

 

 

ついでに流行りの反出生主義についてちょっと喋っちゃおうかな。

簡単にいうと「生きるのは苦痛。だから産まないほうがよい」という理屈なんだけど、ネットでよくみる自称反出生主義者にはいい加減うんざりしている。私自身は特に主義とかなくて好きにしてくれ〜という感じではあるのだけど、この人たちは本当に声がでかくて目に余る。

彼らは、自分が辛い人生だったから「出生は悪!」と安易に結びつけているだけに過ぎない。それはただ卑屈なだけで、肩書きを借りてまで威張る事ではない。

彼らには「子供は欲しいけど遺伝性の病気があったり低所得のため諦めた人たち」の事がまるで見えていない。子供の幸せのために産まないという選択をするのだ。重みが違う。

だから自称反出生主義者のあの「子供産むとかwww」みたいな感じが、浅慮で、本当に腹が立つ。腹が立つなあ。

これは怒りだ。

私は、自分の子供のために怒っている。たとえ産まれてこなくとも、いつか不幸になって私を恨んだとしても。誰にもお前を馬鹿にはさせない。

誓ってもいい。