ひとを笑うなって話
昨日ようやく二回目のワクチンを摂取した。幸いひどい副反応は起こらず、腕がじんわりと痛む程度でいたって平熱、なんだか身構えていたわりに肩透かしを食らってしまった。
しかし本番はここからだ。
キッチンの引き出しからスプーンを取り出して、恐るおそる腕に押し当ててみる……付かない。あれ、おかしいな。もう一度……だめ。素材が違うから? フォークもだめ。クリップ、だめ。しょうがないから冷蔵庫のマグネットを外し腕にくっつけ……
くっつかない。くっつかないじゃないか!
5G! 5Gは!? 窓辺に駆け寄り思念を送ってみる。誰か、応答してくれ!
返事はない。
私は呆然と立ち尽くした。痛む左腕の熱だけが、これが現実なのだと教えていた。
ということで、ワクチンのいわゆるデマについて。こういうのって誰が発端なんだろう。人類のごく少数には種に危害を加えるようなプログラムがされているとしか思えない。そもそも注射を打って磁力って、少年漫画か。
でも、「有り得ない」なんてことはないのだ。もちろん可能性は限りなく無いに等しいとは思うのだが。
この世で本当に「無い」ことって可能性が0%の時だけで、0.0…1〜99.9…9%までは「有るかもしれない」ということになる。
つまり、この世のほとんどの事象って、否定しきれない未知の可能性で出来ているのだ。
幽霊もUMAも陰謀論も、可能性が低いだけで全て「有るかもしれない」。医療論文を読んでもいない私には「ワクチンを打てば5Gに接続する」という話を否定できないのだ。
誰が彼らを笑えるだろう。信じることも信じないことも、尊重すべき意思だというのに。
私もよく想像する。「今考えてることが実はみんなに聞こえてたらどうしよう」とか「もし独自の進化を遂げた魚が地上を侵略してきたらどうしよう」とか。小さい頃は、かめはめ波の練習をするのに「もし本当に出たら危ないから」と思って空に向けて打ったりしていた。知ってたけどね、出ないって! 分かってたけどね!
何が違うんだろう、デマを信じている彼らと。ネッシーだって私は信じている。それとも、誰かはそんな私を異常者だと蔑むだろうか。
かなしい。ひとを笑うな。ひとの信じているものを笑うな。疑っても、否定してもいい。
有り得ないなんて、言わないでください。
今日は頭に、アルミホイルを巻いて寝よう。