モラル・ハザード・ベイビーズ

 

 

なんて格好いいタイトルなんだ!

 

 

1996年生まれの僕らはSNS流行の過渡期にいて、いわゆるネットリテラシーについて教育を受けた世代だ。

印象に残っているのが「指紋や顔をネットに上げるな」というもので、その他にも制服や背景、個人情報の分かるものなんかは、細心の注意を払うよう教わった。

 

な〜んも守られてないけどな!

 

ネットリテラシーってもう死語? あれ、なんだったん?

そもそもネットいじめなんかもやるのは現実の人間なんだし、「正しいインターネットの使い方」なんかで守れるものはたかがしれている(もちろんゼロではないよ)。

人間は、棒を持たせれば叩きたがる生き物なのだ。

 

ここまで前置きです。

 

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その頃言われていた中で特に懐疑的だったのが

「文章だけじゃ伝わらない」

というものなんだけど、今でも全然納得してない。

逆に、人の顔見て話して何が分かるんだ? 僕は今までに二度、教師が怒っている時に「何笑ってるんだ!」とキレられた事があるけど(もちろんそんなつもりはない)、このことから俺の何が分かるんだよ?

目を見て会話するより文章のやり取りのほうが分かり合えることはずっと多いと感じる。ひらがな、アルファベット、漢字、絵文字、読点ひとつでも、些細なニュアンスを表現することが出来る。

まぁたしかに、気になる女の子へ送るメールだとか、恋人と喧嘩した後の謝罪のLINEだとかを代筆したことはあるよ(僕は文章を書くのが上手だった)。

でもそれは「やっぱり文章は相手の顔が分からなくて駄目だな」という結論ではなく「表現の多彩さ」を示す証明にもなる。

 

友達にもいませんでしたか? お前、LINEだと性格変わるよな、という人。

文章では伝わらない、目を見て話せ、目の前にいるお前こそ本当のお前だ、と言われたって困る。文章の中ならいつだって泣けるし、笑えるし、怒れるし、優しくできる。そのどれもが真実味を帯びて、アカウントになったり、君になったりする。

もっとラヴ・レターを書くべきだよ、僕らは。歌でも絵でも、伝えられる手段を選ぶべきなんだ。

 

暖かさやぬくもりのないこんな文章でも、愛おしく思えるのなら。