僕(ら)に出来ること

 

生きてるだけで偉いなんて言うわりには、褒められなくなって久しい。

毎日毎日働いて帰って、名前も無いような料理作っては食べて、また朝から働くために眠る。マスクの下には笑顔が張り付いていて、ゆっくりと時間をかけて解凍するみたいに、元の形を思い出していく。

「何のために生きてるんだ」って思春期の中学生みたいな問いも、誰も答えを知らないまま大人になった。

 

古い友人から連絡があって、近況報告をしあう。

「なんかやりたい事ねん?」

特にないね。

「なんの為に生きとん?」

こっちが聞きたい。

言わせてもらうが、やりたい事ならいくらでもある。それは例えば綺麗な花を見たり、知らない場所に行ったり、本を読んで映画を見て、好きな人の事を考えたり、美味しい料理を作ったり、文章を書いたりすることだ。それを世間では「やりたい事がない」というだけで。

 

自分の身体は他人から見たほうが正しく分かるように、自分でも知らない僕の良いところがたくさんある。そりゃもう、数え切れないほどあるはずだ。君にも、君の知らない良いところがたくさんある。

自分を大切にするのはすごく難しくて、それは自分がどんな形で、どんな温度で、どんな柔らかさでどんな色をしているのか、僕たちは知らないから。

だから他人を大切にすればよい。お互いが大切にし合えばいい。そのほうがずっと楽で、得意だから。

 

ただ生きてるように生きるしかないのだ。偉くなんてなくていい。弱くてもいいし恥ずかしくてもいい。馬鹿でも最低でもいい。

そうやって、誰かを大切にしたいと思う。