何かするのは「選ばれた人」だと思ってた

 

 

自信がある、というだけで人生の大抵の事は上手くいく。

人間関係、恋愛、就活、創作、商売、etc。あらゆることが「自信がある人」を中心に形成されている。

逆に言うと、自信がない、というだけであらゆる物事は上手くいかない。自信がない人には何をやらせてもだめ、というより何もやらない。出来ない。出来る気がしない。

自信が無いと自己肯定感が低くなってきて「自分なんかが旨いもの食ってちゃ駄目だ……」「お洒落しちゃだめだ……」「遊んでちゃ駄目だ……」になる。ほんとになるんだよ。

そんなわけないだろ。

 

自分はこれまで「依存」によって自信を得ていた部分が大きい。親への依存、恋人への依存、友人への依存、ネットへの依存。自己肯定感とかいう最悪の概念のために、自分を傷つけるあらゆる敵を遠ざけて、満たされるためだけに色んなものを消費してきた。そこに自分自身の成長はなくて、ただ許されているという安心感、ぬるま湯のような閉塞感に緩やかに窒息していったのだと思う。その感覚をまだ払拭することは出来ていないけれど、そんなやるせない自分の姿に嫌気がさしてようやくスタートラインに立てている。立っているはずだ。

 

自信がある人は「やる」。ただその一点のみが、私たちと彼らとを大きく隔てている気にさせてきた。

でも本当はもっと単純だって知っている。たくさん考えたからもう分かってる。自信が無くてもやればいいのだ。「選んだ事」が一番正しい。美しい。好きなことをやる、それだけが川の流れのように自然な振る舞いであるはずなのだ。

バンドに憧れてギターを弾くのも、ビンテージ・ショップで高い服を買うのも、格好いいからってバイクに乗るのもなにも特別である必要はない。やりたい事をみんなやっていただけだ。自由って、本当に目に見えないんだよな。

我慢をやめたい。わがままを言ってみたい。自分の好きに生きてみたい。

私も選ぶ人間でありたい。