脱・三日坊主/三日坊主って誰だよ

 

あなたがこれを読んでいるということは、私は四日連続でブログを書くことに成功したということですね。脱・三日坊主おめでとう。ありがとう!



「3」という数字には魔力がある。割り切れないし数えづらいし、すごく中途半端なくせしていかにも「キリがいいよね」という顔で我々の生活に潜んでいる。

三アウト、三人組、三度目の正直、三種の神器。あの仏ですら三度までなのだ。

意外と怒りっぽい方なんですね。

 

確かに不思議と丁度いいのだ。モンハンの素材を売るとき3個だけ残したりするし、あと3回だけ!といってUFOキャッチャーをするし、カレーの日は必ず3杯おかわりをする。別に何もキリがよくなんてないのに。

そう考えるとすごくいい数字なんだろうな。

「3」の描くカーブが妖艶に見えてきました。

他にも三ヶ月、三年でカップルは破局しやすいとか、3という数字がひとつの「区切り」を表していることはもはや疑いようがない。この数字が持つ魔力はこの世界の摂理として、不可侵的な力で私たちの深層意識へと干渉してきているのだ。


だから三日坊主は恥ずかしくない。合わなかったと切り捨てるよい区切りであると言えるだろう。

二日でも四日でもいいんだけどね。三日がいいよやっぱり。


このブログも魔の三日間を乗り越え、ついに四日目へと辿り着いた。

これが四日目の景色か〜!気持ちい〜!

これで私も四日目の坊主、坊主坊主も三日まで、やらない坊主にやる坊主である。

 

で、三日坊主って誰よ?

 

 

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さて、出オチではあるが、三日坊主って誰だよ。人の名前ではない気がするね。


ということで由来を自分で考えてみた。こういうのが大事なのだ、生活には。たぶんネットで調べるより、脳みそにもいい。

お付き合いください。


①昔は「三日だけ坊主を体験できる」制度があった。仏門に入ると困難な修行や質素な生活が待っている。それを自分の目で確かめられるというわけだ。一日署長的な。

②流派によっては「人の死を三日かけて悼む」というやり方があった。この人たちを三日坊主と称したというもの。むしろよく三日もやった、という充足感すら覚える。

③三日という短い期間で耐えきれず「逃げ出した者」のこと。三日だけ坊主。仏門の志は高くなくてはいけない。でも、目指したことが大事じゃんね。

④正月からの三が日はさすがの坊主も休んでいた。「三日あれば坊主もやめたくなる」という意味。でも坊主ってブラックな気がするな。休みなさそう。


ということでね。調べてみましょう。



「坊主の厳しい修行に耐えかねて短期間で投げ出した人」らしい。③だった。実は書いてる途中で薄々そうなんじゃないかとは思っていたのだけど、言い出せるわけがない。だって自分で考えるとか言っちゃったんだもの。

つまらない答えは許されない。

 


何度も言うけど、三日坊主って悪いことじゃない。あなたの大事な時間の取捨選択だ。

楽なほうへと進め。楽しいほうを目指せ。逃げても藻搔いてもそれは未来への選択でしかない。前へとゆく責任が私たちにはあるのだ。

自分自身に忠実であれ。始めるにも辞めるにも、それ以上の指標はないのだから。

いつか三日で逃げ出した坊主も、きっと後悔はしなかったはずだ。