馬に乗りたがるということ

 

別に馬に乗りたくはないです。

 

 

バイクの免許を取る。

上手くいけばこの木曜日にも教習所を卒業できる事になった。(何も言わなければ落ちたということなので見守ってほしい)

子供の頃はバイクに憧れていた。なんとなく一人乗りだし自由だし、車より遠くまで行けそうな気がしていたから。

多くの例に漏れず、自分も親から「バイクは危ないからやめなさい」と言われた覚えがある。

不思議なもので、バイクに乗るかどうかって家系によって決まる部分が大きい。親が乗っていたら自然と子もバイクに乗るという選択肢があるし、バイクに乗らない家系は頑としてバイクに乗ろうとはしない。

私はバイクという新しい文化を自分のムラに持ち込もうとしているのだ。このままではきっと革命が起こるか迫害にあうかのどちらかだろう。

 

まあ実際バイクってほぼ生身で危険だし、積載量は少ないし、暑いし寒いし、良いところがない。ただひたすらに格好いいだけだ。最高だと思う。

親のせいにして取ろうとしなかったバイクの免許を、ようやく取る。良いバイクにも出会えたし、行きたいところがたくさんある。だってどこにだって行けるのだ。そう思うと不思議とやる気がみなぎってくる。

ごめんよお母さん。

貴女に黙って、僕はバイクに乗ります。

 

 

「人間は昔から馬に乗ってたから、そういう遺伝子があるんだろうね」

ある日、教官がそう教えてくれた。

そうなんだ。

この教官は毎回こんなことを生徒に教えているのだろうか? 疑問を押し殺して頷いているうちに、なんだか至極もっともな事にも思えてきた。

なんだ、バイクってつまり、馬なんだ。

戦場に赴く武士が、鎧を着込んだ騎士が、踵を鳴らすガンマンが、愛してきた乗り物なのだ。

同じじゃないかバイクと。みんな愛情を持って乗ってるはずだ。だからこそそれに応えるようにバイクは輝きを増し、今でも私たちを惹きつけてやまない。

 

 

北海道の牧場で、実際に馬に乗ったことがある。

やつらは眼に鋭い光を宿し、鼻息を荒げ、悠然と私のことを見下ろしていた。一見穏やかに見えるものの跨ると動物的な熱が手のひらから伝わってくる。私は畏怖した。背中の人間を振り落とさないよう悠々と歩を進める馬(畏敬の念を込めて「お馬さん」と呼びたい)の、手綱を離さないように必死だった。

生き物なのだよな、お馬さんって。

 

「馬に乗りたがる遺伝子」なんて嘘っぱちだ。教官はきっと思い違いをしている。馬の子孫は、どこまでいっても馬でしかないのだ。

私たちはあの冷たく鈍い輝きを放つ、バイクに乗りたがっている。